「●●●●する」=「賢者に近づく」?

前者なら変態とかのマイナスイメージしか浮かばないけど、後者なら修行だったり精進っていう印象も浮かばなくはない。

他にも、「●●たん萌え〜」とかだったらどう考えてもガチヲタみたいな悪印象しか浮かばないし、逆に「●●殿、愛しておりました・・・」ってなるとくそみそ的とかガチムチっぽいイメージになる。



よくある設定として、「ロリコン」というものがありますね。オブラート的に言うなら「変態という名の紳士」かな。

敢えて訳するなら「著しく年下の女性に対して並々ならぬ執着をみせる」、まあ要は「幼女好き」ですね。

ところがこれには暗に「年上に萌えない」「年上は愛せない」という意味も込められています。もう一回キンキキッズ的に言うなら「もう、ロリ以外愛せない」といったところでしょうか。

つまり、「年下」という癒しを与えられた代わりに、「年上」という色気を奪われてしまったのです。



確かに「幼女」というのはものすごく魅力的なものです。特に紳士や前科のあるものにとっては。だからこそこじかは上級者向けアニメとして扱われたんでしょうし、ハイパー賢者タイムなんてものが伝説にもなったんでしょう。



マンガなどで「ロリコン」というのは、たいていが変態、もしくは犯罪者の類として扱われています。現実でも「えー、まじー?ロリコンきもーい」「ロリコンが許されるのは、小学生までだよねー」といって、無意識に否定されています。



今までに人間は様々な禁忌を犯してきたように思えます。

例えば17歳教

「人の年齢が変わらないはずがない」という社会の不文律を、声優達はほっちゃんでもって打ち破りました。

例えばZIP。

人間は自分のPCをスイッチひとつで滅ぼすことができる道具を手に入れてしまいました。自らの理性を塵ひとつなく滅ぼすものがどうして禁忌でないんでしょうか。

そんな中、最後に残ったものが「ロリコン」、もうちょっと広く言えば「紳士」だったり「賢者」、例えばバ(以下検閲により削除)といったものではないのでしょうか。

それらは社会倫理の観点からし児ポ法で禁止されていたりします。逆に言えば児ポ法で禁止しないと実行可能なレベルまで到達しているということです。



そしてその社会倫理が理性的な大人としての最後の抵抗なのではないのでしょうか。

もえたんを疎んだりするのもその一端だと思うのです。



つまり、「幼女」というものが魅力的でありながらも悪者扱いされているのはこういう理由があるからだと思うわけです。

「2次に萌える」=「想像を膨らます」?

前者ならキモヲタとかのマイナスイメージしか浮かばないけど、後者ならクリエイティブだったり先進的っていう印象も浮かばなくはない。

他にも、「妄想する」とかだったらどう考えても2次ヲタみたいな悪印象しか浮かばないし、逆に「想像する」ってなると知性的とかインテリっぽいイメージになる。



よくある設定として、「ツンデレ」というものがありますね。Perfume的に言うなら「ツンデレーション」かな。

敢えて訳するなら「外はツンツン、中ではデレデレ」、まあ要は「くぎゅううううう」ですね。

ところがこれには暗に「外では素直になれない」「中ではつっぱれない」という意味も込められています。もう一回Perfume的に言うなら「puppy love」といったところでしょうか。

つまり、「理想」という永遠を与えられた代わりに、「現実」という刹那を奪われてしまったのです。



確かに「ツンデレ」というのはものすごく魅力的なものです。特にソフトMやどMにとっては。だからこそ水銀燈は日本水銀党総裁として扱われたんでしょうし、釘宮理恵なんてものが伝説にもなったんでしょう。



マンガなどで「ツンデレ」というのは、たいていがヒロイン、もしくは恋敵の類として扱われています。現実でも「そんな人いるわけない」といって、無意識に否定されています。



今までに人間は様々な禁忌を犯してきたように思えます。

例えばギャルゲ。

「男が創ったもので萌えるはずがない」というヲタの不文律を、絵師達は画力でもって打ち破りました。

例えばエロゲ。

人間は自分のナウい息子をスイッチひとつで滅ぼすことができる道具を手に入れてしまいました。自らの種を塵ひとつなく滅ぼすものがどうして禁忌でないんでしょうか。

そんな中、最後に残ったものが「ツンデレ」、もうちょっと広く言えば「属性」だったり「病気」、例えば釘宮病といったものではないのでしょうか。

それらは大衆倫理の観点からして現実で隔離されていたりします。逆に言えば現実で隔離しないと制御不可能なレベルまで到達しているということです。



そしてその大衆倫理が人間の種としての最後の抵抗なのではないのでしょうか。

2次ヲタを疎んだりするのもその一端だと思うのです。



つまり、「2次元」というものが魅力的でありながらも悪者扱いされているのはこういう理由があるからだと思うわけです。